墨人会

現会員の紹介

墨人会創設者

切り口を人間に置き
書を純粋に一途に追求

現在は23名の会員が所属し
全員が平等、自由で風通しの良い環境の中
幅広い交流、有意義な人間関係を構築しています。

 

石橋 祥 松江市在住

稻田 宗哉 宇治市在住 HP

稻田宗哉作品

「祭」
60×70cm 2023年制作

墨人展初出品 1972年

 

井上 富子 京都市在住

井上富子作品

「恩」
70×50cm  2022年制作

墨人展初出品 1993年

 

私にとっての墨人会

加齢とともに予期しない障害もふえ思うような動きも出来なくなり、墨人会出展も無理かなと感じる私に、次々と目標をいただき元気付けられ刺激を与えてもらえる墨人会は凄い会だなと思っています。2010年模原市民ギャラリー展後の反省会で辻先生が話された言葉は今も頭に残っています。気迫がない、骨精神力の立ち直り、内面の充実を求める、形の上の改革、造形力を研く、器をつくり、常識に惑わされない、細やかな仂き、匂いがほしい。なにもわからず、ただ大筆を振りまわしていた私には諸先生の書に向かう、姿勢探究心はすごい。こんな先輩についていこうと決心はしたものの、実行はともなわず、あれから12年今の私があります。でも墨人会に出会った事、仲間に入れてもらって30年続けられたことに感謝しています。

鵜飼 悊生 宇治市在住 HP

鵜飼悊生作品

「淵」
180×270cm 2022年制作

墨人展初出品 1976年

 

私にとっての墨人会

何も分からず先輩について墨人会に関わった私でした。向こう意気だけが強い二十歳そこそこの無自覚な跳ねっ返りを受け入れてくれ、自分の作品のことだけを考えて書かせてもらう場をいただきました。そこから約半世紀を経た今、先人の純一無雑な追求姿勢、立場の分け隔てなく耳を傾けていただいたその度量に深く感謝し、今までの恩を少しでも返せたらと思う昨今です。

墨人先人からの学び

森田子龍先生の洪恩は言うに及びませんが、もう少し親しく接していただいた今岡徳夫、辻 太両先生は忘れることが出来ません。今岡先生はその親しみ易さからいつも気軽に声をかけていただき、何かと気配りいただきました。辻先生は機関誌「墨人」を何十年も編集され、墨人が様々な意味で苦しい時代も涼しい顔でしっかり支えていただき、私に編集をバトンタッチされたときも陰で見守ってくださいました。日常の何気ないはたらきが身に滲みる歳になったのかもしれません。

会に入って良かったこと

向こう意気だけが強い跳ねっ返りが、分け隔てのない開かれた会の空気を吸っているうちに、少しずつ、少しずつですが人並みに近づけたかと思います。また森田子龍先生の筆の理を礎に仲間とがむしゃらに追い求めてきたお陰で、口幅ったいようですが知らず知らずに世間一般に流布する俗書を排斥し、本物を見る眼が育ったように感じています。生涯書を追求する上で確りとした骨格を得た思いです。

太田 秋源 旭川市在住

小笹 裕子 大津市在住

小笹裕子作品

「希」
90×70cm 2018年制作

墨人展初出品 2000年

 

私にとっての墨人会

初めて目にした墨人展は半世紀程前の学生時代。自分の持つ書の概念を崩してくれた。同時開催の走泥社も同様。当時、自分のやりたい事をする為に手に職を持たねばと大学に通い、放課後は陶芸、茶道華道、ボランティアサークル、音楽と多忙だった。卒業後は歯科医師の道を歩み始めた。生活に追われる中、再び墨人会と出会い今日に至るが、どうやらやりたかった事は書。墨人会の書のようである。止むに止まれぬ衝動から魂を削って書くとまでには到達しないが、作品を創り出すのに、古典の臨書に励む充実した日々を有難く頂いている。

墨人先人からの学び

最初の師、今岡徳夫氏はその書の如くの、懐の大きい湧き出てくる人間性に助けられ、今日まで筆を持つことが出来ている。ぶれずに実直であれと教えられました。辻太氏は、今岡氏亡き後師事。二人は書風も指導法も対照的、スマートな方。自分で自の良い点を見出し、自の筆でそれを伸ばして行くよう仕向けられた。書における表現性の可能性に挑むよう求められた。応えるべく精進していきたい。

会に入って良かったこと

日常の仕事家事等、何らかの役目や目的を持ち生きているが、それを離れて役に立つでもないものを創り出すのに時と身体を使う。そのことは自分にとり大切な事で、創り出された作品が観た方々に元気をもたらすことが出来れば幸いです。墨人会は、そういう人間をあたたかくも厳しく受け入れてくれる会です。

小林 靖幸 高槻市在住

小笹裕子作品

「荒」
180×140cm 2017年制作

墨人展初出品 1973年

 

私にとっての墨人会

小学生のころ、いつからか町の書道塾のようなところでお習字を習っていました。「書」ということになると高校2年の時、書道担当の先生が代わり、その先生から書の古典の世界の面白さ、奥深さに目を向けさせていただきました。当時高校の図書室に「書跡名品叢刊」全冊が入り、手当たり次第に借り出して臨書したり、解説をむさぼり読んだものです。次第に神田の古書街にも出入りするようになり、当時の読書で印象に残ったのは、樋口銅牛「學書邇言」、白川静「漢字」、森田子龍「書ー生き方のかたち」などでした。作品集では「副島種臣書」も高校生にとっては高価でしたが苦労して買った思い出があります。進学を考える時期になり、書道の専科も考えましたが、一生書を続けるとしても、何か自分の中に根拠となる知識をひととおり得ておきたいと思い、著書を通じて感銘を受けた白川静先生のおられる京都の立命館大学の中国文学科を選びました。学生時代は書道部に所属して活動しました。学生運動のたかまりの中で、いわゆる顧問という名のお師匠さんにはお引き取りねがって、それぞれなんの拘束もなく自由に書いていました。そんな学生の気ままな活動に関心をよせ、展覧会などを見に来ていただいた森田子龍と出会い、1973年から墨人展に出品しはじめました。以来50年ちかく私の生活の中心をなしています。

墨人先人からの学び

森田子龍が亡くなった1998年までの25年間は、森田子龍に導かれて臨書を中心に、書表現の追求と古典研究に費やした時間だっように思います。墨人会というと、超大作の一字作品というイメージがあります。これは従来にない書の表現の領域を大きく広げたことでも重要な意味があったと思います。ただこれを形式としてとらえて書のジャンルのひとつと理解してはいけないと思います。  漢字をかいても、かなを書いても、一字を書いても、文章を書いても内の躍動が躍り出てかたちを結んだものでありたい。今も考える重要な一点です。1998年森田子龍が亡くなりました。私の場合、今までに学んだこと、培ってきたことを自分自身の言葉で再構築したいと考え、書の表現構造や、古典の評価についての文章を発表しています。また書の良さを伝える研究会や臨書講座などを開催しています。

会に入って良かったこと

墨人との出会いがすべてです。ありがとうございました。

坂井 由美 国立市在住

坂中 典子 和歌山県在住

坂中典子作品

「輝」 2014年制作

墨人展初出品 1982年

 

私にとっての墨人会

私にとっての墨人会は、人生そのものです。この会と出会っていなかったら、もうすでに生きるしかばねとなっていたかも分かりません。大きな筆を持って書いているときの爽快感。この感覚で私の人生は助けられてきたのだと。悲しみにくれているときも、怒り心頭に発しているときも、心配事の絶えないときも、書くことによって助けられてきました。勿論喜びにあふれているときも、その喜びをそこに表現できました。書いている間は俗世間から逃れ、頭の中は一瞬空っぽの状態になります。それが爽快です。

墨人先人からの学び

1)作品は自他ともに "命の輝き" なので大切にする。2)会友・会員同志お互いに尊敬し合う。3)悪くて古い因習にとらわれることはない。

史 穂 呼 大分市在住

下水流 智恵子 横浜市在住

白井 つね美 浜松市在住

白井つね美作品

「平和」
50×85cm 2022年制作

墨人展初出品 1998年

 

私にとっての墨人会

1983年、磐田市で森田先生による講習会があり、高校二年生の男子生徒と共に参加しました。午前は「古法」についてのお話し、午後は実技でした。生徒達は先生の理にかなった筆の動きと、書の素晴らしさに深く感動‼「僕等は森田先生のご指導を受けたい。」と懇願されました。そこでお願いしたところ、通信によるご指導をいただけることになりました。それ以来、私も様々な迷いがなくなり、書に専念できるようになりました。有難いことでした。

会に入って良かったこと

会に入って良かった事は、先生の書かれる姿を目の当たりにできことです。1995年の和歌山県での合宿で、森田先生が超太筆二本を持たれて、墨象箋に「有」を書かれました。気合の入った低い声と共に、筆が紙におりたつや否や、深い水の流れの底をさらうかように動き、その後、筆は徐々に立ちあがって、次画へと宙を行きました。二画目はその筆を受けリズムにのって右へ右へ。掌は少々上向きながら右横へ。右横では動きを留めるのではなく、壁にボールが当たって跳ね返るように誘い出され三画目へ。そして、この動きは最終画まで続くのでした。先生は足が少々不自由なご様子でしたが、筆は常に筆の真上から真下にある毛先まで無理なく動ききり、生き生きとしていました。この合宿の「有」は生涯忘れられません。

白石 みち子 京都市在住

中島 榮喜 松江市在住

中森 博文 相模原市在住

西原 泉 浜松市在住

西原泉作品

「水」
280×140cm 1999年制作

墨人展初出品 1986年

 

私にとっての墨人会

意欲をかき立ててくれる元気の源です。

墨人先人からの学び

「文字を書くことを場所としていのちの躍動が外におどり出て形を結ぶ」それが書であるという、森田子龍の言葉に集約されます。何ものにも(文字の形、筆づかい、こう書こうという自分の意図)に縛られず、自分が丸ごと踊り出ているような書を書く、その為に、 臨書を通して、筆の自由を得、筆が紙の上を滑らないで、自分が紙の上に出て行くように努め、先人たちの人間に触れ、自分を豊かにしてゆき、書きに書くことでしょうか。最後の「書きに書くこと」は自分への戒めです。

会に入って良かったこと

初めは書く機会と発表の場を頂き、その面白さにはまり、書くことが生き甲斐になりました。墨人誌「龍門」「墨美」で学び、 制作会や展覧会を通して、その方々の人間の純粋さに触れることで、自分を豊かにできるように思います。

法月 良夫 焼津市在住

畠中 咲菫 京都市在住 HP

畠中咲菫作品

「至心」
140×90cm 2020年制作

墨人展初出品 1996年

 

私にとっての墨人会

私が墨人会の書と出会ったのは1995年故今岡徳夫先生(墨人会会員)との出会いによるものでした。でもその数年前に京都市美術館で森田子龍先生の展覧会を見て、今迄見た事の無い書がある事に驚き、その斬新さと力強さに衝撃を受け、忘れられない森田子龍と言う名前になっていながら、今岡先生とは私の中で全く繋がっていなかったのは不思議な縁としか言いようがありません。それからの私は、今岡先生の人間性や指導力によるところが大きいのですが、墨人の書が私の生の根幹となり、その為の仕事であり、自分の中の住み分けが変化していった気がします。書くことがあるから生きられる・・・おそらくこれは私の死まで繋がる業かも知れません。

林原 明美 高槻市在住

樋口 雅山房 札幌市在住

矢野 日出子 京都府在住

吉田 敏子 札幌市在住

吉田敏子作品

「静」
158×88cm 2022年制作

墨人展初出品 1977年

 

私にとっての墨人会

仲間からはぐれて、おいてきぼりになる夢を何回もみた。とりのこされる怖さに怯えつづけた。それが私にとっての墨人会だった。自分にはなにも与えられていないとおもっていたから。すべての人がさずかっている、それぞれちがう才能。不完全で完全な。勝ち負けもないかがやきを、私もゆっくりあらわそう。武骨なみちのりを不器用にあゆみつづける場所。これが私にとっての墨人会です。

墨人先人からの学び

「作品には愛がなければダメだ」(森田子龍)という。いみはわからないまま記憶にのこった。あるとき私のなかで天地がひっくりかえり、愛は理だと確信した。冷徹な理、これこそわけへだてなく温もる愛だった。「原帖の俯仰法をジブンのふかいところに落としこみ、そこからジブンの俯仰法で出ていく」。臨書を自分のコトバでかたってくれる樋口雅山房先生。筆をもつとき、今もっともはげまされる言葉となっている。

会に入って良かったこと

幾重の闇と希望を、内の世界にみたことが、墨人会でめぐまれたかけがえのないご褒美です。

渡邊 佐和子 横浜市在住

五十音順
2024年墨人会京都展

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